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Brian Green & FUTURE スペシャルインタビュー

BRIAN AND FUTURE日本のハウサーはもちろん、数々のダンサーに多大な影響を与え続けるBrian Green、そしてE.O.F./House of Ninjaに所属し、世界中で活躍をみせるFUTUREの2人にスペシャルインタビュー!彼らの知られざるダンスライフとは?彼らが思う現在のダンスシーンとは?ダンス界のゴッド的な存在でもある彼らにスペシャルインタビュー!

STAFF
ダンスとの出会いから今までどのような活動をしてきましたか?
BRIAN GREEN
現在ダンスキャリアは、35年になり、HipHopからバレエ、Tap、Modern、さらに多数のスタイルのダンス・カンパニーのダンサーだよ。
15本以上のミュージックビデオに出演し、20人以上のアーティストのツアーダンサー、コレオグラファーとして数々のステージでのショーやビデオ、映画等に出演してきたよ。
ニューヨークではイベントオーガナイザーでもあり、イベントをクリエイトして支援、(Jesusのご加護の元で)出資、アーティスト達と一緒にハウスダンスカンファレンスと呼ばれるイベントで沢山のダンススタイルの実現をしてきたよ。
FUTURE
1969年、ニューヨークで生まれ育ち、1979-1980年に(10歳の時。プロとしてではなく)B-BOYING(ブレイキン)とHIPHOPダンスを始めたんだ。当時1982年にはニューヨークスタイルポッピン(ブギースタイル)とか、1985年には、”ハウス”として紹介されてたよ。僕の最初のステージの経験は、1988年で、HIPHOPグループ達で競うニューヨークのハーレム、アポロシアターで行われた”アマチュアナイト”だった。
僕のダンスキャリアのスタートは、1993年のトニー・テリーのバックダンサーで、ニューヨークにある世界的に有名なナイトクラブ”パラディウム”でパフォーマンスしだんだよ。著名なエンターテイメントカンパニー(TRAVESTIES Ent.、NYC、1993-2003)、のダンサーとして10年、STOMP NYC(1995)のメンバーとしては、”RHYTHMS OF THE WORLD, a STOMP ODYSSEY” (2002)で特集されたよ。

2006年には、NYで唯一のアンダーグラウンドヒップホップダンスカンパニー”FULL CIRCLE”プロダクションの中心メンバーになった。そして、2007年には、 (1983年にWillie Ninjaによって設立された)Legendary House of NINJA のメンバーになったよ。NYで行われたダンスコンテスト、HOUSE DANCE INTERNATIONAL (HDI) では、3度の優勝に恵まれた。(2007, 2008, 2010.)この間に、パートナー、志村麻美子と共にNY⇔日本を結ぶツアー会社、F.U.S.E.DanceをNYで立ち上げた。僕の海外でのワークショップツアーの第一弾は、2008年に日本だった。それ以来、神のご加護の元で沢山の国々へ行ったよ。2010年には、E.O.F.(Elements Of Freedom)を立ち上げ、NYで史上初である、1週間のワークショップとG.uardians O.f D.ance,と呼ばれるショーケースイベントをオーガナイズしたよ。
そのイベントには、Damon Frost, Popping “Spider” Salah, Princess Lockeroo, Javier Ninja, Brian Green, Cricket, Inhumanoids Crew, Archie Burnett, Kim Holmes,,,等のEUやNYで著名なダンサーが沢山いる。2012年4月には、坂見誠二氏、(幸田)好恵、Brian Greenらと共にDANCE@LIVE SEASON7 FINALに出演、10月には、東京/九州で、E.O.F./House of Ninjaのワークショップツアーをしたよ。

STAFF
2人の出会いは?
BRIAN GREEN
ダンスを通じたコミュニケーションを夢中で探し求めてて出会った数々の人達のような感じかな。フューチャー・ニンジャ( Daniel E.Kelley III)には、地元ニューヨークのクイーンズで出会ったよ。
僕らの最初の実際の出会いは、ダンスだったかな。セント・ジョンズ大学で、仲間達がハウスミュージックをかけてジャムセッションをしてた。これが僕らが実際に話しをした場所だね。
でも時折、僕らは話してて気がつくんだけど、以前に出会ってたかもしれないんだ。
“いわゆるストリートダンス”(この言葉にはあまり納得してないけど)と言われる80年代のニューヨークによく見られたダンスカルチャーでのおかしなテスティングでの話なんだけど。
当時は様々な手段でバトルしたり、スキルを試したりするのが(今よりももっと)普通に行われていた。そこには前もっての計画もなく、準備もなくね。ただやったんだ。

彼は、彼のクルーと一緒にステップを踏みながら片側に居てね、それで僕は、1人だったんだけど(そこに何人か僕を知ってる人達が居て)強気だった。
僕ら双方、互いのスキルを見つつも、一方では(争いを)”止める”のを待ってた。
そして、最後にはただ、一緒になって(ダンスを)楽しんだんだ。
当時の一般レベルでは、ハウスに親しんだり、クラブに通ってた人は本当に少なかったからね。

ハスス、クラブ通い、その音楽は愛やピースともっと一体になることだったんだ….。これが、精神的に僕らの居場所だったんだ。これが僕らがやってたこと。
僕らは、人々が常に互いにバトルをしようとしてた当時のプレッシャーには誠実だったとしても、バトルやスキル試しは、決して僕らが完全に夢中になってた訳ではない。
僕らでもやってたけどね。単にダンスカルチャーの一部としてね。特に当時はね。それに、何かを見たかったり、加わりたかったりするならその時起こっていることに敬意を払わなきゃね。
僕は人生で一度もバトルを始めたことはないんだよ、でも80年代には無条件に何度もしかけられたよ。
路上や学校、買い物途中、クラブ内、等数知れず…. 今思えばクレイジーだよね(笑)。

FUTURE
元々は、NYのクイーンズだよ。沢山の人々が個々の生き方をダンスの中に見出したようにね。僕は、Brian Greenの名前は何度も聞いていた。初めて彼に出会ったクイーンズのクラブではすれ違っただけだったけど、 1987年にセント・ジョンズ大学(Queens,NY)で昼間に行われた、ハウスパーティで正式に対面したんだ。僕らはそれぞれのグループのメンバーと一緒で、ただ音楽を楽しんでたんだ。
当時DJ達は、R&B, Hip Hop,Reggaeをかけていたんだけど、僕らは、既にハウスにはまってたから、DJがプレイするのを待ってたんだ。人々にとって、当時は文化的に”バトル”しに相手に近寄っていくのが日常だったけど、 僕は1度もバトルには興味がなかったんだ。
僕は、ただダンスがしたかった。そして、踊ることで安心したかった。NYは、当時ストリートはひどかったからね。ハウスがかかった時は、僕らは互いのダンスを興味深くリスペクトして見てたよ。
僕は、彼(Brian)が誰なのか知っていたし、彼のダンスやレベルも聞いていたから最初はおじけづいてたんだ。でも、ハウスやクラブのカルチャーっていうのはもっと、愛・リスペクトそして、ピースだったから、僕らは互いにダンスをシェアし、気づいたんだよ。僕たちのダンスが、他の人達とどれだけ違うかってことをね。僕らはこの時既に、”ジャック”とハウスのフットワークで、ハウスのグルーヴの中に、Popping (Waves) を入れたりして”フュージョン”してたんだよ.。僕は、その日に本当に感謝しているよ。僕らは、それ以来ダンスにおける、兄弟(神の使徒)になったんだからね。
STAFF
現在ダンスシーンではダンスバトルが主流となっていると思うのですが、それについてどう思われますか?
BRIAN GREEN
僕にとってのバトルは今日のものとは違う。
70年代から80年代のダンスでの”バトル”は、クルー同士や、ギャング、人々の間の本当の闘い・争いを鎮静化する手段だったんだよ。
人々は、強盗や何とかして人々を困らせようとする奴らのことが大嫌いだった。ダンスはそういった争いを違った方法で遮断しようとする手段の一つだったんだ。
そうすれば人々が命を落とすことはないからね。(最初からそれが全てうまくいったとは言えないけど、最終的にはなったよ…..今日いる素晴らしいダンサーには、ある特定地域での問題を抱え、誤解をして荒っぽい手段を使っているバトル出身者はいないね。でも忘れちゃいけないのは、そういった手段は、その地域での”教訓”だったってことさ。違う環境下での原因を理解する為の高等材料によってね。それは、他者全員での会話だね!!)
僕は、沢山のバトルを見るんじゃなく、多くの交流や素晴らしいスキル試しを見てる!!すばらしいことだろう!それは僕が経験してきた全ての過程であって、そこに喜びがあるんだよね。
僕はそれで問題ないし、今の主流はそれが全てじゃないしね。常に他にも仕事があるようにね。全ては、各々のフォーカス次第だよ。何かが主流に思えたり、もしくはやりすぎだなって時は、僕は他のことを探すよ….。何かを変えようとはしないね。そう、変えたとメッセージを残すかもしれないけど、人が理解してくれようがくれまいが、僕は他の事を探すだろうね。
FUTURE
正直言って、”バトル”っていう単語を使うのは正確じゃないよ。僕の時代の”バトル”っていうのは、文字通りストリートの事で、オーガナイズされたイベントの事を指すものじゃないからね。
低所得の住宅地域(特に歴史的には、サウスブロンクス地区)に住む住人達は、喧嘩(だけじゃすまずに殺されることもあった)の代わりに、”バトル”によって暴力を解決することを模索していたんだよ。 その方法は沢山の命を救ったんだ。
当時は、自分達の信頼/評判を彼らの友人達に誇示したいが為だけに、近寄ってきて戦いを挑んでくる若者たちがいたんだよ。これは彼らの、賞に値するものだったんだ。
STAFF
一昨年のDANCE@LIVE FINALでE.O.Fで日本のダンサーとの共演もしていましたが、日本のダンサーについてどのような印象がありますか?
BRIAN GREEN
世界中にいる全てのオールレベルのダンサーを愛してるよ。僕らは皆、ビギナーのステージから始めたんだし、交流を深めて、コミュニケーションして学べば学ぶほど皆成長するんだ…。
これは、世界中のダンスにおける僕の視点だよ。外見や人種は関係ない。それは、僕にとって重要じゃないし、人間は常に自分のことを何か別のもののように言っているしね。
僕はただ”人間”って言葉が大好きなのさ!
FUTURE
神が多くのカルチャーの多くの人たちとの共有に僕を使徒としてくださっていることに感謝しているよ。でも実は僕の印象は、皆”人間”さ、ってことかな。
“日本を愛しているよ。僕にとっては我家のようなものだよ。でも、ダンスライフの中では皆違う水準にいる”僕は、沢山の人々が、マイペースで自分自身を見つけることを願ってる。
僕が”感銘”を受けるのは、ダンサーの進化を見る事だよ。
STAFF
今後何か新しい取り組みはございますか?
BRIAN GREEN
Jesusの許可を得た、僕のウェブページを全ての人に見るように言う…。
このウェブサイトは、アートに関する数々の事柄の多くの情報があり、シェア、教育、学習、人々をつなげることを目的としている。
ウェブサイトは、シェア、教育、そして、個々の励みにならない事柄へ執着しないで、人を十分に強く成長させることにも焦点をあてている。
愛のこもったやり方で、どうやって十分に強くなるかを学ぶ。オンラインダンスクラスの様々なアイディアやテクニックは、人々が成長し、そして体や音楽の中に他のものを見ることができるようになるためにも、低価格で提供している。
FUTURE
一番ピッタリだと思う答えは僕の名前に関係している。”FUTURE”の大部分の意味は、”現在を超える、次のこと”って事なんだ。1987年にこの名前を選んで以来、マーシャルアーツと哲学に打ち込むことになって、ダンスの中で、自分自身に気が付いたんだよ。僕のアイデンティティは、まさにそれに違いない事を意味している。だから僕は”次のこと”に手を伸ばし続けている。
未来はどうなるか分からない。まだ行った事がないからね。その次の段階に。
STAFF
最後に日本のダンサーに一言
BRIAN GREEN
この万物全てを愛すること。
全てを信じてはならない。しかし、人から聞いた話を他者、動物、そしてどんな生き物に対してでも発言する前に、裏付けを見て、完全に裏付けを読み、解読し、解析し、理解し、分析する。
貴方と同じゴールを持つ者達に寄り添い、支えること。助けを必要としている者達へ支援を試みること。
自身を強調せず、自分に何が与えられるかを学ぶこと…。見返りを求めず、与える事。仮にいつか、代償があった時は、信じられないほどの喜びになるだろうからね。
貴方に反対する者に心から微笑むこと(常に表情に出す必要はない)。そしてその者達への反対感情をそのままにしないこと。
たった一つの貴方の体をいたわること。自然色を食べること。(フルーツ、ハーブ、ナッツ、野菜と穀物) もし、肉が必要になったり、肉食を避ける今日の課題があるなら、様々なお茶や水(空腹時)だけを飲む日を設け、摂取したものを体からデトックスし、糖質や多くのパン、でんぷん等 (自然でないものは、なんでも)、体に有毒なものを避けるようにすること。
ストレッチとホリスティック医学、そして私たちの体のつぼについて学習し、自分自身で怪我の治療法を学ぶこと。1日を通して様々な時間に、規律、忍耐、意識について祈ること。
肉体的、精神的な衝動を制御するために(7日間以上の)、強化断食をすること。私たちは、皆違う過程にいるのだから、ゆっくりと始めること。(1日であっても、凄いことだよ)
断食は、日中の食事を避けることから成り立っていて、1日、1週間のうち夜だけ食事を摂る。
一定時間、話すことを避け、一定時間、TVをみないこと。したくないのにするようにさせてしまうものや、あなたやあなたの周囲にとって生産的でないと思われるものを全て避けること。
考えてみよう。皆、神に創造された自分自身を感じ、または感じられるようになろうとしているのだから。
全ての人へ愛を。Jesusから目をそらさず、尊い聖霊とここに創造された万物に亘る全てのメッセージに耳を傾ける。万物のために 、全ての賞賛、賛美を神へ。

FUTURE
まず、日本と日本にいるダンサーにエールを送りたい。ダンスの為の懸命な努力、スキル、そして愛にビッグリスペクトしてるよ(皆とダンスすることが大好きだよ!)。
人生で今後経験する多くの事が、”自分自身”を形成していくんだ。これはまた、自分のダンスにもあてはまるし、”自分自身”にもつながる。
人柄は常にダンスの中に表れるだろう。成長とともにもっと多くのダンススタイルを経験する事を選べば、ダンスは成長し、もっと何か違う、何か大切なものになることがわかるだろう。
自分に問いかけてみてごらん。もしそれらのダンススタイルを何年間もずっとしていて、未だに同じように見えるなら、”次のものはいつ、何なのか?” 次にリスクを背負って日本に何かをもたらしたり、日本で何かをクリエイトするのは誰だろう。 それは、あなたになるだろうか?僕は、日本からの進化を目撃することを楽しみにしてる。
頑張ってね!!
全ての皆さんとファミリー達へ GOD BLESS!!